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潘皇后 (孫権) : ウィキペディア日本語版
潘皇后 (孫権)
潘皇后(はんこうごう、? - 252年)は、三国時代の大帝孫権の皇后。は淑〔『建康実録』〕。揚州会稽郡句章県(現在の浙江省余姚市)の出身。子は孫亮。生前において孫権の皇后となった唯一の人物。『三国志』においては潘夫人と呼称されている。
== 生涯 ==
父は元役人だったが法を犯して死刑になった。潘夫人は姉とともに、罪人の娘らが奴隷として働かされる宮中の織室に送り込まれた。孫権は彼女を一目見ると人並み外れたものを感じ取り、召し抱えて後宮へ入れた。孫権からは寵愛を受け、やがて身ごもった。この時潘夫人は、誰かが龍の頭を自分に授けて、彼女自身がそれを受け取るという夢を見たという。こうして生まれたのが孫亮であった。250年、孫亮が皇太子に立てられると、姉を織室から解放して嫁に行かせてほしいと願い出て、孫権に許された。翌年、潘夫人は皇后となった。
潘氏は嫉妬深い上に媚びが上手く、袁夫人(袁術の娘)ら多数の妃を陥れている。孫権が重体になると、前漢呂后が高祖(劉邦)の死後に政権を掌握した経緯を、孫弘に命じて調べさせた。このため宮女たちに憎悪され、翌年(252年)2月、看病疲れで寝込んでいる間に宮人宮女達から縊殺され、急病で死んだことにされた。後に事実が判明すると、この件に関わったとして6、7人が死刑に処せられた。孫亮は即位した後、彼女を孫権と共に蒋陵へ合葬した。
後に孫亮が即位すると、潘夫人の姉婿である譚紹が騎都尉に任命され、兵権を得た。孫亮が廃位させられた後、譚紹は一族もろとも故郷の廬陵郡に左遷された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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